当研究所の歴史は、東京慈恵会医科大学出身の篠崎尚次博士が、血管生理学の研究に日光のハコネサンショウウオの幼生を使用するため、奥日光に採集に来ていたことから始まります。それは、東京立川にある陸軍航空医学研究所で第二次世界大戦中に行われており、ハコネサンショウウオの幼生の外鰓の観察により気圧の変化による血流や酸素飽和度の研究でした。終戦を迎えた当時、篠崎尚次博士は、無医村であった中禅寺の町から診療を依頼され、また時を同じくして尾瀬沼の水力発電のためのダム化や奥鬼怒スーパー林道計画が持ち上がりました。そこで、篠崎尚次博士は、この地に診療所を開設すると共に、自然保護の大切さを訴えるため、我が国初の自然保護団体となる「日光の自然を守る会」の設立に携わり、自身の研究のために1970年に私設の研究所を設立しました。
私、篠崎尚史は、1985年に米国ケンタッキー大学を卒業したのち、帰国し当研究所の主任研究者として研究を開始しました。世界初の人工産卵・人工授精に、中禅寺湖のマスの脳下垂体から抽出したホルモンを使い、ハコネサンショウウオで成功しました。その後、この方法はヒトの不妊治療にも活かされるようになりました。
自然保護では、栃木県から「いろは坂」で産卵期にハコネサンショウウオが国道を横断し轢殺されるのを防ぐための対策を依頼され、轢殺防止施設を設計しました。繁殖期に華厳の滝周辺に移動する地点を調査し、移動流域の把握、降雨時の流水速度や流水量を計測し、移動するハコネサンショウウオが道路を横断しないための特殊な側溝の設計、また、国道下を移動させるための収束枡と横断トンネルの設計を行いました。これが、世界初となる公道下の「サンショウウオ横断トンネル」の設置となり、それまで数千尾のサンショウウオが毎年、轢殺されていましたが、近年では、全く道路上で確認されないまでになりました。裏男体では、土石流による被害防止のため、砂防ダムが北関東最大のクロサンショウウオ繁殖地に建設されることになり、埋没する繁殖地を保護するための人工産卵池設置の依頼がありました。こちらも行政とも連携した活動を行ってきました。環境アセスメントとして、東京電力の今市揚水式発電所、蛇尾川揚水式発電所、東武ワールドスクエア、本州四国連絡橋等、数多くの調査と両生類保護の活動を行ってきました。特に、開発に伴う両生類の繁殖・保護活動を積極的に行い、希少生物である多くの両生類保護活動のコンサルティングを数多く行っています。
これらの実績を持つ当研究所では、生物学・医学の研究を実施し、特にアカハライモリの持つ再生能力に着目した再生医療の研究に重点を置いています。オオサンショウウオの目の角膜に世界で初めて体細胞幹細胞(ステムセル)を発見し(1999年 NEJM)、ヒトの角膜の治療に応用し、成功しました。1993年に一旦、当館は閉鎖されましたが、東京歯科大学市川総合病院に角膜センターを設立するとともに、約30年間で8000例を超える角膜移植を行い、また、腎臓、肝臓、脳などの再生医療研究を行なってきています。脳の再生医療研究から、現在はベトナムや韓国での再生医療法の整備、研究支援事業、共同研究を行っています。
本研究所は私設の研究所です。大学、研究機関との共同研究、公的、民間の環境アセスメント事業などを行なうとともに、皆様からのご寄付、ご支援により当研究所の活動は支えられております。当施設の活動にご賛同いただける皆様に、3種類のメンバーシップ制を用意しております。是非、豊かな自然の保護活動や環境保全、更には再生医療の研究、国際貢献活動などにご支援頂けますようお願い申し上げます。